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My MMO Diary

あんまりやる気ないFF14超ライトユーザーです

介護という名の虐待

私の祖母が数日前に脳梗塞で倒れた。

祖母は要支援の98歳。

体力的に遠出はできなかったが、近所を散歩したり、買い物に行ったり、料理をしたりという事はできていた。

90超えてリウマチを発症するまでは同年齢の人達と比較するとかなりしっかりしていた。団地に住んでおり、そこでもしっかりしたおばあさんとして有名だったし、団地の皆さんに気にかけて頂いていた。

私にとっては超人のように思えた祖母も90歳を超えるとさすがにガタがくる。なんせ90年も使っている体だから、リウマチを発症し、ちょっとだけ背中は曲がり、歩く速度はゆったりし、病院のお世話にもなり始め、要支援2になり、ここ2年間の間に2回も入院をし・・・まあ、ようやく「普通の老人」になったのだった。

ここ1年で祖母の体力はゆっくりと低下していった。でも頭はハッキリしているから、私が一か月に一回訪れる時も、今の事や昔の事を語ってくれたりしていた。つい先日あった時に、祖母へ飛鳥山公園へ一緒に行くことを提案したが、それを聞いてた祖母の本当に嬉しそうな顔を忘れられない。祖母とお別れするときはいつも「これが最後かも」と思いながらハイタッチをする。細くて小さくて、沢山の月日を重ねてきた手に軽く軽くハイタッチ。

最近は食も細り、「食欲もない」と言っていた。理想的な死の迎え方なのではないか?やりたいことはやりつくして、過去あった話を楽しそうに話す祖母。未来がそう遠くない時に閉じることがわかっているから、未来の話はしてこない。毎回、私が持って行くデパートのお菓子を一口だけ食べて小さな小さな胃においしさを運ぶ。そんな姿が祖母は確実に死にむかっているんだなと実感させる。

私の母は祖母のお世話をするために2日に1回、祖母の家を訪問する。片道1時間の電車の距離。祖母が退院してからはほぼ毎日訪問している。そんな中、たまたま母親が行かなかった1日の間に祖母は脳梗塞で倒れ、母親が訪問した時に発見されて病院へ担ぎ込まれる。遠隔の見守りサービスを利用していたが時間的に通報や連絡にならなかったようで、母親が倒れていた祖母を発見したのだった。

私も祖母が倒れた状態で発見された当日の夕方に病院に行った。コロナなので面会禁止の病院だったが、重態だったのでコロナの検査をしてから面会を許される。母親は泣きじゃくっていた。はじめてICUに入った。祖母はそこに寝ていた。機械などが沢山あったがあまり覚えていない。祖母の顔はむくんで膨らんでいた。私が大声で話しかけると閉じられた目が開いた。私としてはもう意識がないと思っていたので驚いたのだが、私が10分くらいの間に何か話しかけると二回ほど「うん」と相槌も打つ。これが理解の相槌なのか適当なのか、はたまた無意識なのかはわからないが、私は祖母の死を意識しながらも「ありがとう」「さようなら」の類の言葉は言わずに、「またね」と告げてICUから出た。もう完全に「お別れ」だと思った。もう祖母はここから出ることなく死ぬのだろうと。看護師さんにも「もう心の準備はできましたか?」と言われたし、死を疑うこともなかった。私は祖母が90歳を超えたあたりから「人は必ず死ぬ」のだから、祖母も当たり前のように死ぬと思っていたし、覚悟をしていた。思い出を見て廻ればちょっとはお別れがつらいけど、98歳の人に対して「死ぬのはかわいそう」という気持ちにはなれない。

弟、私、母の順番で面会が終わった後、医師から病態について説明される。ディスプレイにうつる脳の図。医師がそれを見ながら説明。右脳に脳梗塞があることと、普段から心臓が弱いので、脳を救おうとすると心臓に負担がかかるし、心臓を救おうとすると脳が救えないといったような説明をされたが、医学用語満載であんまりわからなかった。

私はたった一つだけ質問した。「脳梗塞というのは一般的に後遺症が残るというイメージですが、祖母が回復したとして言語障害や麻痺が残るのですか?」と。なぜその質問をしたのかという理由はたった一つ。延命治療を避けるためである。私自身が何かでしゃばって発言するといつも母は発狂するので、とにかく回復後も絶望的な状態になる事を他人に説明してほしかった。そして、医師の答えはこうだった。言語障害はかなりの確率で発生しますし、麻痺もあると思いますと。

私と母は以前、介護の話をしたことがある。その時は「寝たきりのようになるくらいなら延命治療はしないほうがいいね」とお互いの意見が一致したはずなのに、いざ祖母がこういう状態になると治ってほしいらしい。治る見込みがあるのか?治るというのは?ただ死んでいない状態になるだけではないのだろうか。奇跡が起きることを望むより、98年という歳月を生き抜いた祖母を「大往生だったね」と気持ちよくおくりだしてあげたくはないのだろうか。また食が細いからと冷蔵庫に沢山ある廃カロリー剤を飲ませまくるのだろうか。母は自分が行かなかったたった一日の間に起きた出来事に対する後悔を打ち消したいから生きていてほしいのか?母の生きがいのために祖母に生きていてほしいのか・・・。それは介護という名の虐待ではないのだろうか。人間の幸せとは何か?人間の本当の寿命とはいつなのか?・・・結局、母は祖母の延命治療について明言はしなかった。医師は全力を尽くしてみますという答えだった。未だに祖母の容態についての連絡はないが、良い終わり方ができないのではないだろうかと私はひたすら危惧している。